茶道具『鎌倉 其中窯 河村喜太郎遺作花瓶』共箱 在銘「キ」平戸橋の陶芸家 北大路魯山人陶房跡に築窯 河村 熹太郎 茶事 七事式 千家十職

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商品説明 サイズは、口径3,7×高さ23,3×高台径8,8㎝です。河村喜太郎遺作の花瓶です。希少品です。ホツやニュウはありません。 河村喜太郎(1899-1966) 1899年京都市生まれ。 1950年猿投の陶土に魅力を感じ、京都五条坂から平戸橋に陶房を移す。繊細な色絵磁器造りから一変して、土くさい土器を感じさせる独特の作風を完成。 1961年鎌倉の北大路魯山人陶房跡に其中窯を築く。 京都の陶芸家であった河村喜太郎(1899-1966)は、昭和25年(1950)猿投の土に魅せられ、次男の河村又次郎(1930-2006)とともに京都から豊田市平戸橋に移り住み、築窯し、「さなげ陶房」と名付け陶芸活動を行いました。平戸橋では、京都の繊細な色絵磁器造りから一変して、土くさい土器を感じさせる独特の作風を完成しました。昭和36年(1961)鎌倉の北大路魯山人の陶房を受け継ぎ、其中窯を築きます。昭和41年(1966)、喜太郎が急逝したため、又次郎が其中窯を受継ぎ、家族とともに鎌倉へ移り住みます。平成11年(1999)、又次郎の次男・河村喜平(1961-)が平戸橋の「さなげ陶房」を「喜中窯」として再興しました。なお、其中窯は現在又次郎の長男・河村喜史※(1959-)が継いでいます。猿投の土は鎌倉でも代々使われています。 明治32年4月14日生まれ。河村蜻山(せいざん)の弟。生家は京都の陶業家。大正8年楠部弥弌(くすべ-やいち)らと赤土(せきど)社を創立,新陶芸運動をおこす。昭和2年帝展に入選。10年高村豊周(とよちか)らの実在工芸美術会創立に参加,同人となる。12年新文展特選。新文展・日展審査員。36年鎌倉に窯をうつす。昭和41年1月18日死去。66歳。本名は喜太朗 其中窯 北鎌倉の閑静な山あいにある其中窯。河村家に伝わる北大路魯山人の登り窯は現在でも薪を使用しているトラディショナルな窯である。祖父・河村喜太郎以来受け継がれている猿投(さなげ)の土をつかい父であり師である河村又次郎の元で修業。河村喜史は自らの作品を黙々と作り続けている。

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